放課後の教室棟

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【ライブレポ】現実世界の超現実、amazarashi「朗読演奏実験空間"新言語秩序"」を体験した。

前回の「地方都市のメメント・モリツアー」でバンドとしての大団円を迎えたamazarashiは、今回の武道館公演で新章に突入した。

 

本公演「朗読演奏実験空間"新言語秩序"」は明確なテーマをもって、事前に公式アプリの配信、小説、ゲリラショップ、そして最新シングル『リビングデッド』と、ここ数ヶ月は話題に事欠かない勢いでプロジェクトを展開してきた。

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メインテーマとしては、現代のSNSが高度に発達した社会において、ふとした契機で炎上し、用いる言葉を過度に注意しなければならない、いわば"言葉狩り"されたかのような時代を生きる閉塞感が根底に存在する。

 

また小説では、"テンプレート言語"と呼ばれる、「多種多様な他者を傷つけることのない何億通りという状況に合わせた会話のテンプレートのアーカイブ」である言語の使用が、政府や"新言語秩序"と呼ばれる「『テンプレート逸脱』を取り締まる自警団」によって強制された社会が舞台。

 

この中で"言葉ゾンビ"と呼ばれる「『テンプレート言語』の使用を自由への侵犯とみなし、あえて『テンプレート逸脱』活動を行うことを止めないものたち」が、本来的な自由な言葉の解放を目指して"新言語秩序"と闘争を繰り広げるというもの。

 

言わずもがな、今回の公演におけるamazarashiと、オーディエンスの我々は言論統制に抗う"言葉ゾンビ"側ということになり、ライブ中も"新言語秩序"による検閲を受ける、という設定になっている。

 

"新言語秩序"に捕えられた"言葉ゾンビ"は監禁され、"再教育"、すなわち「『テンプレート言語』を潜在意識に刷り込み、自由な発言ができなくなるまで精神を破壊」されてしまう。

 

このように、現代社会の"言葉狩り"を一気に飛躍させてディストピアを描いたのが、今回秋田ひろむが書き下ろした小説世界である。

 

 

 

さて、そろそろ本編、日本武道館公演に話を移そう。

 

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先ずはもう人の多さ。これ。いつの間にamazarashiはこんなにも沢山の人に愛される存在になったんだと、謎な親心が出てしまった。客層も、それこそ中学生のような子から中高年まで、無論男女不問。それぞれがそれぞれの理由で、amazarashiを求めているという事実が、既にエモかった。

 

リハーサルの音漏れもかなりあった。『つじつま合わせに生まれた僕等』(あれ...これ本編でやってねえじゃん)『自虐家のアリー』『カルマ』『ナモナキヒト』等々、秋田ひろむの歌声が響いて初めて、いよいよamazarashiのライブに来たんだという実感が伴って、一人暗がりで震えていた。

 

 

 

そして入場。ステージを囲うように客席が設けられ、ステージにはお決まりの半透明の幕。先に挙げた本公演限定の用語解説が垂れ流されていた。

 

開演間際になって、今回のオーディエンスのスマホを使った演出に関しての説明、及び試運転が行われた。事前に座席を登録したスマホをステージに向けることで、発光パターンで検閲を解除するというシステムであり、同時にそれは照明にも劣らない、立派な演出になる。現に暗転した会場で、ステージを囲うようにスマホのライトが点滅した時、その美しさのあまり自然に拍手が起こったほどだった。人工物極まりない発光に、柄でもなく感動して息を飲んでしまった。何て粋な演出。

 

 

 

そうこうしているうちに舞台は暗転。記念すべき武道館の1曲目を飾ったのは、アルバム『地方都市のメメント・モリ』でも1曲目、アルバムを象徴する位置づけであった『ワードプロセッサー』。過去作であるにも関わらず、恰もこの公演のために書き下ろしたかのような歌詞が印象的であった。最後にまくしたてる「歌うなと言われた歌を歌う」のフレーズ、正に"新言語秩序"の圧力に立ち向かう"言葉ゾンビ"の決意表明のようだった。

 

日本武道館!青森から来ましたamazarashiです!」と簡単な自己紹介をして、無機質な一定のビートを刻んで始まったのが、今回のテーマ曲でもある『リビングデッド』。この曲が始まる直前、我々オーディエンスのスマホが振動。検閲解除の合図。演奏中にスマホをステージに向けることで下のような壮観な光景になっていた。観客参加型をここまで演出に取り入れたライブは初めてだったので、言葉を飲んでしまった。圧巻とは正にこのこと。
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勢いはそのままで『空洞空洞』。道の真ん中を駆け抜けるような、疾走感のある映像が鮮烈に印象に残っている。ただ「オーナメント」「愛」など、検閲が必要なようには思えない語句まで黒塗りされていて、"新言語秩序"の検閲基準はよく分からねえなあ...とぼんやり思っていた。「テンプレートって、何だ?」という。笑

 

豊川真奈美が奏でる美しい旋律に、思わず歓声が上がった『季節は次々死んでいく』。オーディエンスの盛り上がりようからして、今のamazarashiの代表曲は間違いなくこれなんだろうなと思った。amazarashiの中では比較的キーが高い方ではあるけれど、かなり伸びやかに歌声が響いていて良かった。口からCD(以上)音源は伊達じゃない。

 

ここでステージは90°回転。そして前述した小説の第1章の朗読が行われた。"新言語秩序"の実多が、"言葉ゾンビ"の駆逐を誓うまでの話。

 

そしてYouTubeのMVをモチーフにした映像から、まるで実多の虐待と恥辱の過去を表象したかのような歌詞を紡ぐ、『自虐家のアリー』が歌われた。コメント欄も"再教育"を施されたであろう者と"言葉ゾンビ"達が衝突するカオス。いよいよ対立構造はより確実なものになっていく。
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その後も、ロック調のエレキギターが特徴的な『フィロソフィー』、amazarashiイチ温かい歌詞の『ナモナキヒト』(実際、黒塗りの部分も他の楽曲と比較するとかなり少なかった)、壮大なピアノのイントロから、「命」をテーマにどこまでも重く深く歌い上げる『命にふさわしい』と、ライブも中盤に向かうにつれてさらにその熱量が高まっていく。
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ここで再度ステージが回転。第2章の朗読が行われた。若き先導者希明によって集められた"言葉ゾンビ"達の呪詛「言葉を取り戻せ!」、そして希明の拘束の話。特に、"言葉ゾンビ"のスローガンでもある「言葉を取り戻せ!」は、この先終演まで尾を引くこととなる。

 

話の展開から漂う緊迫した雰囲気を割いて歌われたのが、緊迫感をさらに強いものにする『ムカデ』。極めて多い言葉数を次々に、矢継ぎ早に放ち、また「夢がぶら下がる最果ての絞首台」といったフレーズで、終末感を湛えた世界にオーディエンスを引き込んでいく。

 

誰もがステージを食い入るように見つめる中、次に始まったのは、最新シングル『リビングデッド』の収録曲である『月が綺麗』。「僕が言葉を話す 君が言葉で応える 僕等の距離を埋めたのは きっと言葉だった」の歌い出しは、小説の3章の伏線でもある、「言葉の尊さ」を切実に歌ったものである。

 

続けて二日酔いの頭で「生きる意味」を考察する『吐きそうだ』、そしてここにきて初めてのポエトリーリーディング、逼迫した雰囲気を頂点へと誘う『しらふ』が続く。

 

いよいよライブもラストスパートに差し掛かり、三度ステージが回転。第3章は、前章で捕らえられた希明が"再教育"を受けるものの屈することなく、実多に言葉の尊さを訴えるもの。正に前述の『月が綺麗』の歌詞世界と共通している。希明は「人を変えられるのは言葉だけだ」と、極端に言葉に規制がかけられた世界に真っ向から立ち向かう。

 

映像に何者かの遺書が映し出されて歌われたのが、『僕が死のうと思ったのは』。この曲名とは裏腹に、最後には「あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ」と、一縷の希望を見出しているところにamazarashiらしさを感じずにはいられない、個人的に大好きな1曲。

 

続けて、雄大なメロディーに乗せて人間性をテーマに歌う『性善説』、抒情的なファルセットで「虚しい時はどうすりゃいいの?」と問いかける『空っぽの空に潰される』と、往年の代表曲群で会場のボルテージは最高潮。

 

曲間の静寂を破ったのは、「どうかあの娘を救って」のワンフレーズ。『カルマ』だ。後半の「奪って」や「どうかあの娘を救って」のリフレインには琴線を刺激された。ライブで一気に化ける曲だと思った。アルバムに入るとここまで強烈な印象を残す曲ではなかったと思うけれど...

 

小説の朗読も遂に最終第4章。読み進める中で、オーディエンスは一つの異変に気付く。そう、結末が改変されていた。アプリで事前に配信されていたものでは、釈放された希明が再びデモ隊を率いてスピーチを行う最中、潜入していた実多は"新言語秩序"の人間であると、周囲のシンパに正体を暴かれる。希明が激情するシンパを落ち着かせ、「何か言いたいことはあるか?」と実多にマイクを差し出したその隙を狙って、実多が手持ちのナイフで希明を刺殺するというエンドだった。

 

しかし会場で朗読されたものは、殺したはずの言葉を吐き出そうとする自分に当惑しながらも、実多がそのマイクを受け取るというエンド。結末が360°異なるものになっていた。

 

オーディエンスの頭上にクエスチョンマークが浮かぶ中、ライブの締めくくりに歌われたのが、未検閲状態では公開されていなかった『独白』。検閲が解除されると、一人称は「私」であり、歌っているのも「言葉は積み重なる 人間を形作る」「奪われた言葉が やむにやまれぬ言葉が 私自身が手を下し息絶えた言葉が この先の行く末を決定づけるとするなら その言葉を 再び私たちの手の中に」など、"新言語秩序"として心の奥底にあった言葉に対する思いを秘匿してきた実多の、心からの叫びのように思えて仕方がない。

 

曲の最後、「再び私たちの手の中に 言葉を取り戻せ」と半ば秋田ひろむが叫び、轟音に飲まれながらも、「朗読演奏実験」は成功で幕を閉じようとしていることを感じていた。「歌うなと言われた歌を歌う」ことから始まったこの公演が、「言葉を取り戻せ」で終わる。曲間に朗読された物語の効果もあり、ライブ全体が一つの物語のように、首尾一貫したストーリーに基づいていた。
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これが、amazarashiが何か月も前から、これほどまでに大規模に計画を進めていた「実験」の全てだったのかと、迸る鳥肌が抑えられなかった。

 

 

 

そして終演後のスタッフロールでは、まるでウェーブをするように、順番にスマホのライトが客席から放たれ、幻想的な空間を、鳴り止まない拍手とともに作り上げていた。

 

これだけのプロジェクトを成功させたamazarashiが、この先見据えているのは何なのか、何処に向かっていくのか。それはその時まできっと分からないけれど、昨日2019年の全国ツアーが発表されたように、変わらずにコンスタントな活動を続けてくれるのだろう。これからも、amazarashiの一挙手一投足に注目して、その背中を追っていこうと思う。

 

本当に素晴らしい一夜でした。ありがとう、amazarashi。